2013年10月14日

世界遺産・石見銀山の銀山街道を歩く。

お客さまと一緒に、島根県大田市の日本最大だった銀山の遺跡である、石見銀山に行ってきました。
2007年にユネスコ世界遺産委員会によって登録された、世界文化遺産です。

今回は2日間の日程を用意し、観光は2日目にすることに。
初日は石見銀山の中心地であった大森地区から、銀や銀鉱石を港へ運ぶために利用されていた旧街道、いわゆる銀山街道のご案内をしました。


銀山街道と呼ばれる銀の運び出し道は何本か存在するのですが、今回選んだのは、もっともポピュラーと思われる、日本海へ通じる、「温泉津-沖泊道」。
石見銀山から日本海に面する沖泊港まで、約14kmほどを歩くものです。

上記地図では、右端の星印が石見銀山。
左端の星印が沖泊港です。

その他、ポイントになる箇所にもマークを付けてあるので、訪れる予定のある方は参考になさってください。

石見銀山世界遺産センターまで車で行き、そこから徒歩で銀山公園へ。
右へ進むと大森の街並みですが、ここは左手の柵内方面に向かいます。
寺社仏閣やお墓、そして間歩(坑道のこと)の点在する柵内を抜けて、龍源寺間歩の前を過ぎると、この「坂根口番所跡」の標柱が現れます。
石見銀山は柵で囲われていたそうで、その柵には10ヶ所の出入口があったとのこと。

ここはその一つ、かつての坂根口であり、この先から銀山街道が始まります。
まずは最大の難所と言われた、降路坂への登りです。

ここが降路坂の頂上。
難所とは言っても、登山に慣れた人ならば特に問題なく登りきることができるでしょう。

この先、短い登りはありますが、基本はもう下り一辺倒となります。

降路坂から反対に下ると、舗装道路にぶつかるのでこれを下ります。
間もなく、両側に家の立ち並ぶ真っ直ぐな道にでるのですが、ここが西田集落です。
かつての宿場町です。

西田集落の下手には、ヨズク(この地方の方言でフクロウのこと)の形に稲藁を組んだ、ヨズクハデが作られていました。
この時期にしか見れない、この土地特有の稲藁の干し方です。

西田集落からさらに車道を下ると、未知のかたわらにあまり大きくはない石塔が現れました。
中村の題目塔です。

ここで車道を離れ、左手の薄暗い山道をたどります。

山道を抜けると、唐突な感じで山の間の明るい集落に出ました。
清水集落です。

集落の真ん中辺りには、かつての大森代官が、水の美味しさに感激して金属の柄杓を奉納したという、小さな湧き水がありました。

さらに一段下には、昭和に入ってから建てられたものですが、瀧光寺というちょっと変わったお寺があります。
境内右手に、過剰なまでに並べられた、たくさんの不動明王像が祀られており、不思議な雰囲気なのです。

その先で直角に右に入って、古い石の階段の残る山道を下ると、その先の車道にぶつかるところに古い道標が立っています。
松山の道標と呼ばれるもので、大森(石見銀山)と出雲大社の方向が記されていました。

松山の道標からはしばらく車道を下って、体育館のある交差点を右に入ります。
するとすぐに左手の山道を示す標識が現れるので、それを下れば、やっと沖泊港に到着です。

港の右手から海岸を歩くと、船を停める際に綱を結びつけるために使われた、鼻ぐり岩があちこちにありました。

鼻ぐり岩見学後も、海岸をさらに歩いて、コンクリートの小橋を渡って対岸の小島の上を目指します。

登り詰めた小島のてっぺんには、かつては沖泊港を守るための櫛山城があった場所。
世界遺産センターを出発してから、ここまでの所要時間は約7時間。
お疲れさまでした!

櫛山城跡からは海岸を沖泊港まで引き返し、そこからトンネルを潜って温泉津温泉街へ。

石見銀山からここまで、変化のある道を歩き切り、充実した思いで街を散策しながら、一番奥のほうにある我々が予約した宿へと向かいました。


下山後の入浴施設および宿泊施設

これが温泉津温泉でも最も古い、平安時代から知られていたという元湯というお風呂。
我々もここで入浴をしました。
良いお湯でしたが、私にはちょっと熱すぎるかも???

さて、我々が泊まったのは、元湯のすぐ目の前にある長命館という宿。
本来は元湯で湯治をするための宿ですが、温泉津温泉としては料金がお手頃であり、我々のように石見銀山から歩いてくるお客さんにも、最近はよく利用されているようです。

湯治宿というとお料理はどうかな??との心配もあるのですが、お刺身や焼き魚など、素朴ながらも豪勢なもので、とても美味しくいただきました。

▼参考書籍
  
石見銀山に関して、私が参考にしているのはこれらの本です。
銀山街道についてもう少し詳しい本があれば嬉しいのですが…でもそんなに需要はないのかもしれません。。

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